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安曇野の穂高界隈は片田舎であるにも関わらず、案外、数多くの超一流人物を輩出しています。
kurisupyさんが書いていた碌山美術館の荻原碌山も、その一人です。
碌山以外にも同時代に何人もの一流人物が出ていますが、その中心にあったのが、相馬愛蔵・黒光夫妻です。
相馬夫妻は純インド式カリーやクリームパンで有名な新宿中村屋の創業者です。
相馬夫妻は実業家と一般に呼ばれる人達とは少し毛色が違っているように思います。
相馬夫妻の経営は商売と芸術をくっつけたようなもんだったんじゃないかと思います。
中村屋では相馬夫妻を中心にサロンと言われる一種の文化人グループのようなものが形成されていきます。
新宿中村屋のホームページの「中村屋サロン」というところを見ると、当時、出入りしていた超一流の文化人の紹介がされています。
http://www.nakamuraya.co.jp/index.html
相馬夫妻は文化人だけではなく、例えば国家主義者の黒幕的な存在だった頭山満や、社会主義の活動家だった木下尚江とも深く親交を持っていました。
右だとか左だとか関係なく、相馬夫妻は純粋に、それぞれの人物と付き合っています。
そこに懐の広さというか度量の大きさを感じます。
極めつけは何の得にもならないのに、インドの独立運動家で日本に亡命していたラス・ビバリー・ボースを必死でかくまったりしています。
戦後、来日したネール首相はインド国民の名において中村屋に敬意を表したとか。
相馬夫妻の物語を読んでみると、そこには商売のやり方でも、人との付き合い方でも、今の日本人がどこかに置き忘れてきてしまった、精神の美しさと超一流の人物を感じます。
今度、東京に行く機会があったら新宿の中村屋で相馬夫妻に思いを馳せながら、カリーを食ってみたいもんです(笑)
かれこれ6年くらい、このハンドルネームを使っています。
このハンドルネームの由来について書いてみようと思います。
現在、僕が住む安曇野市穂高には「八面大王伝説」というのがあります。
http://www.ultraman.gr.jp/~shalom/sinaninominnwa.html
昔、この地に八面大王と呼ばれる魔力を持った鬼が住んでおり、これを蝦夷征伐に向かう途中の坂上田村麻呂が討つというお話です。
詳しくは上記URLを見て下さい。
伝説の中で弥助という若者が坂上田村麻呂に八面大王を討つための山鳥の尾羽の矢を献上します。矢が出た村という事で矢村という地名が今でも残っています。
この矢村が僕が今住んでいるところのすぐ近くなので、ここから矢村、弥助からやすけと、ハンドルネームを作りました。
現在の穂高界隈の地名は八面大王伝説に由来するものが多いです。
さらには松本の人がみな大好きな山「常念」も八面大王伝説から、とられています。
八面大王は伝説の中では鬼として扱われていますが、実際は侵略者である大和朝廷の坂上田村麻呂の軍に抵抗した、地元の強い豪族だったのだろうと思います。
地元の本を探すと、中には侵略者に立ち向かう正義の味方として描かれている八面大王の話も有ったりして面白いです。
ちなみに坂上田村麻呂が八面大王の魔力を鎮める為に建てたと言われる「満願寺」は、これからツツジが綺麗な季節です。
ここで湧き出てる水はアトピーにいいとかで、うちの近所の家は、ここまで水を汲みに行っているようです。
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